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風の大陸 第1部 邂逅編 竹河 聖 --2

風の大陸〈第1部 邂逅編〉

風の大陸〈第1部 邂逅編〉

  • 作者: 竹河 聖
  • 出版社/メーカー: 富士見書房
  • 発売日: 1988/11
  • メディア: 文庫

三章 辺境の町

半人半馬に育てられたアウル・トバティーエ。
トバティーエ、なんでこんなに純粋培養されたんだろう。

・・・常識と言うのは基本的に人と人が生きていくにあたって傷つかないための不文律で、人と一緒に育ってこなかったティーエには当然そんなものはない。
人の本音は醜い所が多く、醜くならないためには多大な犠牲と努力が必要なのだが、
まず人は小さい頃から目を背けたり、目を疑ったりしながら、醜い所を学習していく。
その上で、努力をしたり犠牲を払ったりしながら綺麗になろうとしたり、または、どちらもしないで醜いまま「正直者だ」と胸を張ってみたりするのだが、
ティーエ、どうやら苦労も努力も犠牲も払わず美しく生きられる人らしく、自分の醜い所と戦うことなく17歳になって山を降りた。

重ねて言う。常識とはこの醜い所から効率的に目を逸らして平和的に生きるルールの一つだ。
それを知らずに、人に人を不快にさせる部分があることを知らずに、山を降りて、 ティーエは目を逸らさずそれを観る。
しかも感受性が鋭いどころでなく心が読めるような能力付きでそれを見る。
うわぁ。もしも悪党になる気なら、ベストだよな?
その人の醜い所は弱点そのものだから。

ティーエは目も逸らせず、人の本性にパニックを起こしながらファーストコンタクトを終える。
母親は生きてるべきだった。ティーエに前もって「人とは」と、教えとくべきだった。
カノジョは決して清らかなだけじゃなかったと思うから。

逆に清らかなだけの人だったら、共和国、つぶれてしまってもしょうがない所だった。
清らかさというのはそういうものナ気がするね。

ともかく、ティーエはそれでも諦めず、セカンドコンタクト。
人に近づきすぎず、人の痛いところをなるべく見ないようにしながら治療をして金を取る。
なんて言うか、善意に満ちたいい商売だ。

昨今、痛いところをつきながら自分はそこをなんとか出来るんだとアピールしつつお金を取る。
というのが商売だもんね。
痛い所が痛ければ痛いほど、人はお金を払うのだ。

ラクシに会ったのはその直後、と言っていい位の時。

ティーエは盗賊に襲われる。
心を読めてもそれの意味する所をを理解出来ないティーエは危ないところをラクシに助けられる。
彼女はティーエを助ける為に戻ってきたのだ。

そして盗賊との戦闘の後、会話のかみ合わないティーエの用心棒として町までついて行くことにしたのだった。

・・・ここで一緒にならないと物語りは進まないのだけど、正直、この気持ち、わからないねー。
会話のかみ合わない相手とはコミュニケーション諦めて目の前から消えちゃう性質なんだよね、私は。
・・・コミュニケーションを諦めると相手がそこに居ても目に入らなくなる性質なんだよね。

きょとん。だよ。ラクシ?

町は砂漠の自治都市で城壁も立派だった。
砂漠の中に城壁の立派な都市。世界観の説明。砂漠化が進んで大変な大陸。
でも、ちょっと引っかかるよね。
砂漠の嵐を避けるために壁は必要だという設定。でも、砂漠って、大きな壁、作り難いんだ。
土を固めるなら水が必要。石の壁は規模が限定。

うん。突っ込んでもしょうがないところだけど。

町に入るとあっと言う間に喧嘩に行き当たる。
見物するラクシの横をすり抜け、喧嘩の間に入っていくティーエ。

あの人・・・・・・死相が出ています


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